新型コロナの自粛や規制が緩和され、政治のニュースが増えてきました。一部ではリーマンショック以上の影響がある
と言われていて、経営者としては暗中模索の状態がしばらく続くのだろうと感じています。
こんな時には私の父がよく口にする「得意平然、失意泰然」を思い出しますが、なかなかどうして。
雑音の多い心中に未熟さを感じてしまいます。そんな時こそ前を向いて半歩でも進むことを心掛けたいものです。
昨年アドラー心理学についてお話を始めました(というか勢いで始めてしまいました。。)今回はその続きでございます。
前回は「経験に意味づけをしているのは無意識の目的があるから」というような話をしました。そしてその無意識は
制御できないものなのだろうか?という問いかけをして終わりました。
お時間がありましたらご一読ください(2019.12.18のコラムです)
私はこの無意識は制御出来るし、できればすべきものだと考えています。
制御出来たら無意識ではないのでは?と思うのですが、ここでは何かを考えるときの「反射的な思考の癖を制御する」
といった捉え方をイメージすると分かりやすいかもしれません。
人の無意識部分に影響を与えるのは「普段の思考」つまり「思考の癖」だと思います。
では「思考の癖」とは何かというと、誤解を恐れずに言えば「自分の家族の癖」と「捏造された自分」です。
私はこれを「思考の色眼鏡」と表現しています。
人間は生まれると多くの方は親元で育ちます。そしてその家庭での行動や発言、判断基準に晒されて成長します。
そしていつの間にかその行動や発言、判断基準が自分のものとなり、その延長線上に捏造された自分を作り上げます。
ここでいう「捏造」とは「選民意識」や「承認欲求」によって歪んだ思考であり、重要な考え方なので別で取り上げてみます。
少し例えが乱暴ですが「テストの点数が取れないとご飯抜きにされる」というご家庭があったとします。
子供の価値はテストの点数では測れないと分かっていながらも、やはり平均点より下だと不安になる。
子供からすれば(親の心配とは裏腹に)単に「点が悪い」と言われてしまっている状態です。
こうやって「親や家庭の価値観」に触れ続け「思考の色眼鏡」が形成されていきます。
厄介なのはこの色眼鏡は自分が掛けている色眼鏡の色に気付くのがとても難しい事です。
そのため気が付かないうちに正しく物事を見ることができない、例えるなら赤いものを赤く見れない、状態になっています。
このような状態であらゆる体験に対して意味付けをしていった場合、他人との意識のずれは大きくなってきます。
自分が何色の色眼鏡をかけているのかを知るには「親や家族の思考の癖」を把握するのが一番の近道です。
自分の親がどんな癖の持ち主か客観的に分析するとなかなか面白い事が見えてきます。
ある書籍によるとその分析には「脅迫者」「被害者」「尋問者」「傍観者」という4つのパターン(書籍の中では
「コントロールドラマ」と表現されています)があるそうです。
さて、次回は「捏造された自分」について考えてみようと思います。
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