2024 |
07.09 |
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4年目を迎えるチャンネルユニコ
いつも「次のインスピレーションのために」ということで有料配信を始めてみました。
どれも個性が出ていて面白いです。冒頭5分は無料でお聞きいただけます。是非お試しあれ。
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2023 |
04.24 |
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2022年12月入社の「まこっちゃん」と2023年02月入社の「トロちゃん」が先日
弊社のインターネットラジオ「チャンネルユニコ」へ出演してくれました。
まこっちゃん |
トロちゃん |
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外部サイトへ遷移します。 |
ちなみに強制ではないですからね、、本人の意思ですので誤解のないようお願いしますね。
配信も #600 を超え、多くのリスナーの方に支えて頂きながら3年目を迎えました。
まこっちゃんとトロちゃんは入社前にラジオを聴いてくれていたので、事前に会社の雰囲気が分かってよかったようです。
また、お客様にも聴いていただくことがあり「こないだの話〇〇でしたね」と言っていただきとても嬉しく思います。
そして自分自身にとっても良い効果があり「こないだラジオで〇〇って言ったからちゃんとしなきゃ」と襟を正したりすることも笑
社員も増えて責任も増えていますが、皆で笑っているとそんなことも頑張れちゃうから不思議ですね。
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01.10 |
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いよいよ13期目に突入しました。
年末に新たなメンバーを迎え新体制で頑張っております。
そして最近最寄り駅にコワーキングスペースができたと聞き、是非活用したいと思います。
更に新しい事務所の話もちらほらと。
そんな私の今年のスローガンは「頑張らない」
肩の力を抜いて身の丈に合った頑張りでしっかりと結果を出したいと思っています。
実はこれが意外に難しいのではないかと思ったりします。
企業配信のチャンネルユニコも順調で毎回たくさんのコメントやレターを頂いております。
うちの会社がどんな雰囲気なのか興味のある方は是非聴いてくださいね。
「こういうことやってる(言ってる)会社はブラック」という辛辣なご意見も頂戴しておりますが
誠実に受け止め、聴いてよかったと思って頂けるような情報をお届けできればと思います。
では本年も道中張り切って参りましょ~♪
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2022 |
04.01 |
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当社の note を開設しました。
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2021 |
11.01 |
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皆さん投票は行きましたか?
今回は我が家の長男が18歳になっていたため、一緒に投票してきました。
これまでは投票会場についてくるだけだった彼にも投票の権利がある
ということで本人も少し緊張した面持ちで会場に入ったのが印象的。
投票の後、夕食をすまして私と妻とで映画を観に行きました。タイトルは、
「燃えよ剣」
幕末の新選組を描いた司馬遼太郎さんの作品です。
諸外国からの脅威にさらされていた日本とそこに渦巻く朝廷、幕府、新政府軍それぞれの
思惑に翻弄されていく若者たちが主人公。
彼らにはそれぞれの正義があり、それぞれに生き様というものがあります。
徳川が築いた300年の安寧と繁栄をどう捉えるか。もっとうまくやる方法はあったのか?
そして新選組のありようはこれで良かったのかなど、組織論に通じるところを多く感じる作品です。
江戸は約300年続きました。これを今に置き換えると1721年から今まで1つの政権で続いていた
ことになります。この頃の日本と今の日本は(世界は)驚くべき変化を遂げています。
もちろん近代の発展には目覚ましいものがあり、単純に比較することはできませんが
300年前のしきたりや価値観が現代にどれほど通用するかと考えると、ほとんどないのではないでしょうか。
一方で儒教はしっかりと根付いているように思います(これももう薄れてきたか)
江戸時代末期。外国という存在に恐怖し、一方で西洋の文化を取り入れて発展した日本。
果たして現代の黒船といえるものはあるでしょうか?
私はそれがDXだと思います。
ものの本には「オズの魔法使いにおける嵐である」と書かれているものもあるように
DXの衝撃は計り知れません。単なる業務改善の凄いやつと捉えていると足元をすくわれかねないのです。
例えを1つ。
皆さん「回転ずし」行きますか?私はたまに行くのですが、もはや寿司が回ってないんです。
受付もタッチパネル。注文もタッチパネル。お会計も自動精算。
なんじゃこりゃ?なわけです。
普段の生活においてそのようなテクノロジーの変化を感じながら、自分たちの仕事では
対応が遅い。これまでにも感じていたことですが、その差はますます開く一方です。
あらゆるものに対するベネフィットが強烈に求められる時代へ突入しました。
何でも新しいものが良いとは思いませんが、陳腐化した思想や価値観にとらわれていると
新しいテクノロジーに淘汰される日が来るのかもしれません。
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06.10 |
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現在日本ではコロナの感染拡大防止対策がやや下火になる一方でオリンピックに関する話題が増えてきました。
IT業は景気の波が遅れてやってくると言われていて、先ずはメーカーや製造業にその影響が現れた後
我々のところへやってくるわけです。
そして当社もその例外ではありません。これまで進めていた案件がなくなったり、予定した案件とは
異なる案件にアサインされたりと大小さまざまな形で影響が出はじめています。
こんな時に会社としてできることは従業員の生活を守りながら、次のチャンスが来た時にできるだけリスクを
少なくしてそのチャンスをものにするための準備をしておくことだと考えています。
そのため当社は今期「種を蒔く」という事をテーマに掲げ、各現場で様々な取組みを行ってもらっています。
そんな中、会社として以下を始めました。
・3月:Webラジオ(インターネットラジオ)
・5月:各社ポッドキャスト系へ配信展開
・6月:YouTube での配信開始
3月に蒔いた種は早速芽が出ました。
あるお客様から「ラジオ聞きました。このような考え方の出来る会社と仕事がしたいと思うんです」
と言って頂くことができました。不安な中始めたことですがこのようなお言葉を頂きとても嬉しいです。
改めて「行動のあるところに結果あり」と実感した出来事でした。
Webラジオは企業だけではなく、個人の方々のお耳にも届きます。おかげさまで再生数も増加しており
さらにはリスナーの方からこんなコメントまで頂きました(一部抜粋)
『通勤の行き帰りに拝聴しております。(中略)仕事に関わるもの、人との関わり、音楽や趣味など(中略)
大変興味深く、楽しませていただいてます。耳の痛い回もありましたがw、これからも楽しみにしていますので
キャラ濃いめのおっさん二人w、末永く続けてください!』
非常に嬉しいメッセージです。もし何もせずじっと耐えるだけの時間を過ごしたのならこのような経験はできなかったでしょう。
そしてそんな行動に快く力を貸してくれている従業員のみんなへも感謝の気持ちでいっぱいです。
私の好きなアーティストの歌の中に
止まらない、それだけで生まれるチャンス
口笛でも吹きながら、ゆっくりでいい さあ行きましょう
(B'z:C'mon)
という歌詞があります。
コロナの影響はまだまだ続きそうです。ですがその中でも何ができるかを考え、行動に移すことをやめなければ
どんな結果が待ち受けていても後悔のない人生を歩めるのではないかと感じます。
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04.18 |
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以前に書きました「強烈な支配の中で自身のパフォーマンスを発揮できるのか?」の続きです。
強烈な支配は自由な思考を奪います。
会社という組織(コミュニティー)においては、それぞれが果たすべき役割を明確に定義し
各自が理解しておく必要があります。しかし、中にはその役割を自分に都合の良いように解釈し
言われるがままに仕事をする人がいます。
そういう人が行動して出た結果を、そのまま仕事の成果として判断するのは危険です。
なぜなら、その結果は強烈な支配によって思考を奪った状態で出たものだからです。
では、このような状態で、損失を発生させてしまった場合を考えてみましょう。
ほとんどの場合は上司が責任を取るでしょう。責任を部下に押し付けるのは論外です。
上司であれ当事者であれ部下であれ、問題なのは無意識に責任を何かに転嫁しようとすることです。
内罰的になれということではありません。客観的に捉えましょうと言っています。
こんな風に考えたことはありませんか?
・上手くいかなかったのは指示が悪いからだ!(指示の上手い人ばかりではないですよ)
・上手くいかなかったのはあいつの能力が低いからだ!(能力が高ければあなたの上司になっていますよ)
・言っていたことと違うじゃないか!(あなたの理解が合っている事を確認しましたか?)
・皆で僕を阻害しているんだ(君はそんなに人気者なの?)
・誰も褒めてくれない(褒められるより褒める側になりましょう)
もちろん生きている限り相手との齟齬は存在します。ですがその中でも可能な限り認識を合わせようと
努力したのかどうかが大事なのです。そして相手側にその意図が伝わるようにしたか?という事も合わせて必要です。
ついつい無意識に考えてしまうこのような考えをどのように制御すればよいのでしょうか?
これは1つの考え方です。
まずは、自分たちが脳みそにいっぱい汗をかいて、精一杯見えない未来を予測します。
そして組織としてのコンセンサスを取ります。
そこまでやっても損失が出たならそれは仕方がないと諦めます。
そもそも、そのチームの能力が低いのです。
失敗は失敗と潔く認めましょう。それまでの過程で一生懸命になれたことを価値とし、
次は必ず利益を出せるように原因を客観的に解析し、リカバリーを考える。それしかないと思うのです。
しかし、前述したように支配関係が強ければ強いほど、こういった思考はできなくなります。
この先、会社が大きくなっていくと、私もできなくなるかもしれません(そのためにも書いています)
では、諸悪の根源である「強烈な支配関係」は何故生まれるのでしょうか?
つづく
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03.01 |
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stand.fm 様のサービスを利用して、インターネットラジオ「チャンネルユニコ」を開設いたしました!
関連アプリのダウンロードはこちら →
元インディーズミュージシャンの藤原と元進学塾講師の東條とが「語彙」にこだわり、独自の視点を繰り広げる
内容です。お仕事あり、音楽あり、アニメありと何でもありの内容。
通勤のお供に、仕事に悩んだ日に、なんでもない穏やかな日に、お聞きください。
番組サイトでは皆様からの励ましのコメントをお待ちしております。
誹謗中傷は心が折れてしまうのでご遠慮下さい。いや本当に、二人とも「ガチ鬱」経験者ですので・・・。
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02.18 |
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子供に対する支配とはなんだ?という話しがありました。今回はその続きです。
結論から言うと「原因は親自身の承認欲求が満たされていない事」にあるのではないかと考えています。
親のせいにするとか、自分は悪くないとかそういう話ではありません。客観的に見てみようという話しです。
誤解を恐れずに言えば犬でも猫でも親になれます。ですが人間という生き物は社会的地位や名誉、貧富などの
属性を持っています。これは否定できない事実です。そういったものが競争を生み、切磋琢磨した結果成長に
つながることは多いと思います。一方でそのようにして勝ち得たものが自分自身の価値だと思い込むことがあります。
子供は親にとっては後から来た人で経験も少なく、お金を稼ぐことが出来にくい存在です。
# 最近はYouTuberなんて職業もあり、若い人でも大金を稼いだりします
そのため支配構造を作ることで(簡単に)親自身が自分の存在意義を感じることができます。この支配構造は滅多な事では崩れません。
そしてその支配構造によって生み出される存在意義により自身の承認欲求を満たしている事が多くあります。
この構造何かに似ていませんか?
まさに企業は会長や社長を頂点とした支配構造です。もちろん家庭と違って「利益を追い求める集団」ですから
そのノウハウや戦略は非常に重要であり、そこに対する責任の所在を考えても役職者の地位というものは支配を
容認するに足るものと言えなくはありません。
ですがどうでしょう。強烈に支配されている状態で自身のパフォーマンスを発揮できる人がどれぐらいいるでしょうか?
これは家庭における親支配の中で子がどれだけ自由にふるまえるかというところに似ている気がします。
つづく
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2020 |
12.08 |
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日本では新型コロナの感染拡大が第三波に突入しています。
これから年末・年始を迎えるにあたり、我々がどのように凌いでいくかが課題となりそうですね。
有効なワクチンの開発成功といった明るいニュースもある一方で医療従事者の方への負担は想像を
絶するもので、コロナの話題をするたびに一喜一憂する毎日です。
そんな中ユニコは無事に10年を迎えることができ、11年目に突入しました。
これもひとえに皆様のご協力の賜物でございます。社員一同心より感謝致します。ありがとうございました。
そして今後ともご愛好頂きますようよろしくお願い致します。
この10年の間で私は「自己から他己への成長」の重要性を強く感じました。
様々なものが変化し、感染症による新しい生活様式が追い打ちをかけ
その様相は日々目まぐるしく変わっていきます。
例えば「在宅ワーク」
感染予防のため通勤を控えるという事から積極的に取り入れる企業が増えました。
ユニコは随分前から取組みを始めていてその課題についても多くの事を経験しています。
これまでは自分の行動や作業が何らかの形で共有されていたため特に意識して表明しなくても
問題はなかった(例えば出社すればその人の状態(生存や健康)を把握することはできますが
在宅だと分からない)のですが、それらの情報が入ってきにくくなります。
ではどうするかというと、
・始業・終了を何らかの方法(チャットやWebシステム等)で伝える
・Webカメラで繋ぎっぱなしにする
・定例会議を増やす
などをされているところが多いのではないでしょうか。
在宅ワークにはメリットとデメリットがあると思います。先にあげた「状態が把握できない」というのは
デメリットになりますが、今までの仕事のやり方(出勤)をスライドしただけでは在宅ワークのメリットを
活かせません。デメリットへの対策も大切ですが同時にメリットを活かす方法も大切です。
では在宅ワークのメリットは何かと言うと、誤解を恐れずに言えば
「サボれること」
です。もちろんこの「サボれること」は自分の作業に対する「成果」を意識し、効率を生むための「サボり」です。
例えばお昼ご飯。
出勤していた時は外に食べに行ったり、コンビニで買ったり、お弁当を持って行ったりする事が
多いと思うのですが、在宅ワークだと「自炊」が出来ます。
実感されている方も多いと思いますが、自炊は段取り力を鍛えるにはもってこい。
・冷蔵庫にある材料で何が作れるか?(設計)
・どの手順で作れば効率がよいか?(製造)
・美味しくするにはどうしたら良いか?(品質)
そして最大の気づきは、
それを考えていつも作ってくれている人がいる
と知る事です。
「自分が何をするか」ではなく「自分が何をしてもらっているか」に気付ける在宅ワークは活かしようで
成長につながる働き方だと思います。自炊=サボるとは直結しないのですが自炊する事により
いつもより少し長めの昼休憩になる事は多少目をつぶってもよいのではないかと思ったりします。
働く人も管理する人もより柔軟な考え方で新しい働き方を模索し、より良い仕事ができるために
何ができるかを工夫する、そんな11年目になる事を願いながら日々精進したいと思います。
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08.04 |
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世の中はあいかわらずコロナです。一時期落ち着いていた感染者数も再び数値が上がってきていて、GoToキャンペーンや
あべのマスク2など政府の対応に不満の声を聞く日が増えました。感染拡大防止と経済を回すのは相反する行動ですので、
十分に気を付けて動けという折衷案で対応するしかない状況が続いています。
先行きの見えない不安感がじわじわと心を侵食していくのを感じます。
前回からの続きです。
人は何かを判断するときにその判断材料として自分自身の良心や社会的に形成されている常識を拠りどころとします。
そのため、これらに反した行動や行為、思考を行うことは忌み嫌われるものだと思い込みます。
ですが、その判断基準自体がおかしくないかを確かめることはできるのでしょうか?
社会的に形成されている常識に関しては様々な情勢が関係する事ですので今回は触れません。
もう一つの自分自身の良心に関しては注意が必要です。
なぜならそれが自分にとって都合の良いように(もっと言えば自分の両親や家族にとって都合のいいように)
捏造されている可能性が高いからです。
人間は生まれてすぐに自力で生活してくことができません。これは動物界でも稀な例です。
赤ちゃんは「おなかが空いた」「おしめが濡れて気持ち悪い」「眠たいのにうまく眠れない」などの状況を伝える術がなく
唯一の手段である「泣く」という行為に全てを込めます。
そこで両親や祖父母がそれを察し、要求に応えます。そのため赤ちゃんは「泣けば不満が解消する」という状態を経験するわけです。
やがて成長した赤ちゃんは自分でご飯を食べたりおしめが取れて自分でトイレへ行ったり自分自身で色々な事ができるように
なります(ご飯は誰かが作る必要はありますが)
では「ここからは全て自分で」とならないところに問題があります。
一番の問題は「子供の事よりも自分たちの事を優先している親」なのではないかと感じます。
子供の教育にはお金がかかります。住宅ローンを組み、様々な保険や貯蓄を行うにあたり、仕事に時間がとられます。
そして子供との時間が取れない。この事は自分たちの事を優先しているのでしょうか?
私は違うと思います。
では、自分たちの時間や手間を犠牲にし、子供と接している。これは「自分たちよりも子供を優先している」という事でしょうか?
私はこれも違うと感じます。
では「自分たちの事を優先している」とは何を指すのか?それは、子供に対する支配構造を構築していることです。
助けてやらなければ何もできなかった子供に触れていく間に、親たちには支配の仕組みが積み重なっていきます。
子供が成長し、自分で何かを考えたり出来るようになったりするのはとても喜ばしい事です。ですが物理的な支配が解放される
に従い「責任」や「金銭的理由」といった論理的な支配が始まります。もちろんそれらを無視して野放しにして放置することが良い
わけではありません。
犯罪を犯したり、人に迷惑をかけた場合には親が責任を取る必要があります。そのため子供に対して指導・教育を行う義務があります。
ですがこれは親の責任であって、支配ではありません。
ではここでいう「支配」とはどういった事なのでしょうか?
つづく。
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06.22 |
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新型コロナの自粛や規制が緩和され、政治のニュースが増えてきました。一部ではリーマンショック以上の影響がある
と言われていて、経営者としては暗中模索の状態がしばらく続くのだろうと感じています。
こんな時には私の父がよく口にする「得意平然、失意泰然」を思い出しますが、なかなかどうして。
雑音の多い心中に未熟さを感じてしまいます。そんな時こそ前を向いて半歩でも進むことを心掛けたいものです。
昨年アドラー心理学についてお話を始めました(というか勢いで始めてしまいました。。)今回はその続きでございます。
前回は「経験に意味づけをしているのは無意識の目的があるから」というような話をしました。そしてその無意識は
制御できないものなのだろうか?という問いかけをして終わりました。
お時間がありましたらご一読ください(2019.12.18のコラムです)
私はこの無意識は制御出来るし、できればすべきものだと考えています。
制御出来たら無意識ではないのでは?と思うのですが、ここでは何かを考えるときの「反射的な思考の癖を制御する」
といった捉え方をイメージすると分かりやすいかもしれません。
人の無意識部分に影響を与えるのは「普段の思考」つまり「思考の癖」だと思います。
では「思考の癖」とは何かというと、誤解を恐れずに言えば「自分の家族の癖」と「捏造された自分」です。
私はこれを「思考の色眼鏡」と表現しています。
人間は生まれると多くの方は親元で育ちます。そしてその家庭での行動や発言、判断基準に晒されて成長します。
そしていつの間にかその行動や発言、判断基準が自分のものとなり、その延長線上に捏造された自分を作り上げます。
ここでいう「捏造」とは「選民意識」や「承認欲求」によって歪んだ思考であり、重要な考え方なので別で取り上げてみます。
少し例えが乱暴ですが「テストの点数が取れないとご飯抜きにされる」というご家庭があったとします。
子供の価値はテストの点数では測れないと分かっていながらも、やはり平均点より下だと不安になる。
子供からすれば(親の心配とは裏腹に)単に「点が悪い」と言われてしまっている状態です。
こうやって「親や家庭の価値観」に触れ続け「思考の色眼鏡」が形成されていきます。
厄介なのはこの色眼鏡は自分が掛けている色眼鏡の色に気付くのがとても難しい事です。
そのため気が付かないうちに正しく物事を見ることができない、例えるなら赤いものを赤く見れない、状態になっています。
このような状態であらゆる体験に対して意味付けをしていった場合、他人との意識のずれは大きくなってきます。
自分が何色の色眼鏡をかけているのかを知るには「親や家族の思考の癖」を把握するのが一番の近道です。
自分の親がどんな癖の持ち主か客観的に分析するとなかなか面白い事が見えてきます。
ある書籍によるとその分析には「脅迫者」「被害者」「尋問者」「傍観者」という4つのパターン(書籍の中では
「コントロールドラマ」と表現されています)があるそうです。
さて、次回は「捏造された自分」について考えてみようと思います。
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05.25 |
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自粛要請解除により、新型コロナの影響で止まっていた経済活動がようやく動き出そうとしています。
当社も通常業務への再開を始めようと、テレワークですっかり重たくなってしまった腰を
上げようとしています。
今回のテレワークで仕事の進め方が変わった方も多いと思います。
・ 作業時間を対価とする「時給型」の働き方が向いている人
・ こなした仕事のタスクを対価とする「成果型」の働き方が向いている人
・ その両方をミックスしたようなものもあるかもしれません。
どの働き方をしたとしても大切なのは「報・連・相」です。もはや使い古されて今更感の強い言葉ですが
その内容に関しては個々人のスキルやOJT(On the Job Training)任せなところもあり、それ以上突っ込んだ
話を聞きません。それはコミュニケーションスキルで別扱いすることが多いのも理由かもしれません。
「報・連・相」には直接的な会話だったり電話やメール等、必ず何らかのコミュニケーションが発生します。
直接的な会話が最も近い距離だとすると電話やメールなどは直接的な会話に比べると、距離の離れた
コミュニケーションと言えるかもしれません。
コミュニケーションの距離が離れれば離れるほど、相手への配慮と会話の目的に沿った
言葉の選択が重要になってきます。
コツはタイトルでも書いた「だろう運転」と「かもしれない運転」です。運転免許を
お持ちの方にはお馴染みの言葉ですね。例えば信号のない交差点で「誰も出てこないだろう」
ではなく「誰かが出てくるかもしれない」という気持ちで運転しましょうというあれです。
あまのじゃくな私は「誰かが出てくるだろう」「誰も出てこないかもしれない」ではダメなのか
と思ったりしますが、どちらにしても自分にとって都合よく考える「誰も出てこないだろう」や
「誰も出てこないかもしれない」という考え方は事故のリスクが高いという事を表しています。
コミュニケーションの場合は、
・「相手も分かっているだろう」
・「当然知っているだろう」
・「こないだ言ったから覚えているだろう」
・「これぐらいの事は分かるだろう」
という考え方は自分勝手な都合であって実際とは相違がある可能性があります。
その一方で、
・「相手は分かっていないかもしれない」
・「知らないかもしれない」
・「こないだ言ったけど覚えていないかもしれない」
・「多くの人は分かっているがもしかすると分かっていないかもしれない」
と考えて言葉を選ぶことで、報・連・相の事故を未然に防ぐことができると思います。
運転だけでなく、人間関係でも無事故・無違反でご安全に。
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04.13 |
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中国の武漢から「新型コロナウィルス」が蔓延し、世界は100年に1度の危機的状況を迎えています。
多くの学校は休校となり政府から非常事態宣言が発令されるなど、未曽有の事態に企業も混乱しています。
日本では奇しくも「働き方改革」を掲げ、新たな価値観を獲得すべく様々な取り組みを始めたところでした。
そして今回のコロナの影響をうけ、改革を余儀なくされたのではないかと思います。
私はこの働き方改革を「働き方の多様化」と考えてみてはどうかと思っています。
例えば「働く」=「対価を得る方法」として考えた場合、
・朝9時に出社して18時までのあいだに出来るだけ多くの作業を片づける
・出勤や作業の時間は任意だがその日や決まった期間に必要な成果を出す
・平日に休みを設け、土日に仕事をする
これらの働き方は個人のライフスタイルに合わせたものであり、また年齢や生活環境の状況によって
変化しても良いものだと思います。
こういう事が実現するととても「働きやすい」と思いませんか?
ですが同時に「さぼり放題」「正しく評価できるのか」という事も思います。
成果主義というと聞こえは良いですが、直接的に成果につながらない仕事もあります。
そこで働き方改革を進めるうえで必要な改革は、
1.自分の能力が発揮できる働き方を見つける(従業員)
2.働き方に合わせた評価制度を設定する(管理者)
3.企業としてのあり方と顧客への理解を得る(経営者)
が必要ではないかと思います。
つまり従業員、管理者、経営者の3方の連携が不可欠だという事です。
従業員は不正をせず管理者や経営者との信頼関係を構築する。
管理者は視野を広くし、経営者と従業員の意図を理解しながら、客観的な判断基準を構築する。
経営者は従業員と管理者の意図を理解し、顧客や社会に理解してもらえるよう説明をする。
感染予防の観点から、テレワークやモバイルワークが推奨されている中で、今後問題となりそうなのは
・コミュニケーション不足によるすれ違い
・情報漏洩
・運動不足による体調管理
などでしょうか。
せっかくの機会です。Web会議などですれ違いを軽減し、クラウドやアンチウィルスソフトの強化
室内で運動出来るような設備を会社が補助する、など様々な事を試してみて、会社にあったやり方を
見つけてみると考えると楽しそうですね。
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03.18 |
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先日、息子(次男)の中学校卒業式へ参列してきました。
小学生の時はどこか頼りなく、大丈夫かいなと思っていた息子でしたが、中学校で剣道と出会い、トレーニングを重ね
いつの間にか両親の身長に追いつき、あっという間に追い越し(ほんまに一瞬でした)剣道部で副主将を務めるまでの立派な
兄ちゃんになっていました(涙)
ところで世間は新型コロナウィルス流行の影響で、卒業式や入学式が取りやめになったり、センバツ高校野球が
なくなったりと大騒動です。そんな中規模を縮小して開催された卒業式は、校長先生のお話と、PTA会長さんのお話を除き
無駄なくコンパクトに短縮され「普段からこれでいいんじゃない?」と思えるほどのとても良い卒業式でした。
卒業生たちが退場し最後のホームルームを行っている間、体育館では先生の作った動画が放映されます。
生徒たちの3年間の思い出がたくさん詰まったとても楽しい動画で、楽しみにしていました(長男の時にも見たので)
画面が切り替わるごとに息子の姿を探し、シーンが進むにつれ、家では見ることの出来なかった息子の笑顔や、職業体験の姿。
修学旅行の風景などを観て、いつの間にかしっかりしたのではなく、それにはそれ相当の時間と経験があったのだと理解します。
動画の中では生徒たちの楽しい思い出の合間に、担任の先生たちがリレーをしながら順にバトンを渡すシーンが挿入されます。
思い出が重なるごとにバトンは次へ次へと渡され、そしていよいよ最後のシーン。バトンを持った先生が正面からカメラに向かい
こちらへ向けてバトンを差し出します。
「君たちにこのバトンを託す」
とテロップが流れたとき私は思わず涙ぐんでしまいました。
それはとても安いっぽい、昭和感がプンプンする演出です。ですが生徒の笑顔に負けないぐらい楽しんで撮影している先生達が
これから新しい扉の向こう側へと旅立つ教え子たちに精一杯のエールを送ろうとしている。そのことを伝えるには十分でした。
「楽しむこと」
人生においてこれに勝るものはないのかもしれません。もちろん自分勝手ではダメです。
誰かのために、何かのために必死になって楽しむこと。これができれば人生のほとんどの事はうまくいきそうな気がします。
こんなに楽しそうな先生達が在籍されている学校で3年間を過ごせたことは、彼にとってとても大きな出来事だったと思います。
4月からまた新しい環境で、様々な出来事に一喜一憂する事を考えると、親としてはちょっぴりせつない気持ちです。
しっかり人生を「楽しんで」おくんなまし。
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02.14 |
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私は大学で少しC言語の授業を受けた程度で、プログラミングの仕事がどんなものかも知らずに26歳でこの業界に飛び込みました。
就職して最初のお仕事は、お客様先でパッケージソフトのテスト業務。実務経験もありませんでしたしプログラミング言語
も知らなかったのでいきなり製造工程というのは荷が重いと判断されたのだと思います。
少し残念な気もしましたが実はこれが良かった。
一見「テストなんて地味な作業」だと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
自分がテストした製品が世の中に出るわけですから、誰よりも先にその製品を触って、不具合を見つけなけれ大問題です。
お客様からは「藤原君がファーストユーザーだから、遠慮なく意見言ってね」と言って頂き、思い切った仕事をすることができました。
そのおかげか、大きな不具合を取り除くことができ、とても良い経験をさせて頂きました。
そこでの活躍が認められて会社に戻ってからはリーダー職やマネージャー職を経験し管理の方へ回ります。
その後大きなプロジェクトが立ち上がり再び客先へ。プロジェクトの大きさもさることながら刺激の多い案件で
例えば仕様書が英語しかない、深夜にアメリカとSkypeで繋いで対応など、とても大変でしたが充実した日々を過ごしました。
そのプロジェクトを後任に引継ぎ、子会社の代表取締役に任命して頂きます。
子会社は品質管理に関する魅力的なパッケージソフトを持っており、全国にお客様がありました。
納品や御用聞きで全国を回ったりしながらお客様のご要望を聞いているうちに楽しさを感じるようになります。
同時にお客様の困りごとを何とかして解決したいけれど、今の組織ではなかなか自由が利かないという事も感じるようになりました。
このことがきっかけとなり思い切って起業を思い立ちます。
実は本格的にプログラミングをやり始めたのは子会社の社長をやっていた頃。お客様の困りごとを何とか解決できないかと思い
夜な夜な自分でプログラムを組んでいました。
その苦労が報われたのがユニコのパッケージソフト「ボビン残量監視(検出)システム」現在和歌山と宇都宮で稼働中です。
時代が変わり、様々なプログラミングが手軽に体験出来るようになりました。そんな中でユニコという会社の存在意義を
考えると「プログラミングを武器に他社にはない機動力でお客様の課題を解決すること」に尽きるのではないかと思います。
未経験だった自分の作ったシステムがお客様の役に立つ。この喜びを皆さんが経験する事が
ユニコの成長へと繋がると信じています。
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01.06 |
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新年あけましておめでとうございます。
今年はいよいよ東京でオリンピックが開催されますね。
皆様にとってそして当社にとってもよい一年となりますようよろしくお願い致します。
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2019 |
12.27 |
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今年も残すところ僅かとなりました。皆様日頃のご愛好誠にありがとうございます。
今年は元号が変わったり消費税が変わったりと社会情勢に変動が多く、事件や事故、自然災害も多い年だったと思います。
かく言う当社も年始には4名だった社員が倍増して8名になり、売上も倍になり、激動の一年でした。
11月より10期目を迎え、皆様の簿要望に応えられるよう引き続きご期待頂ければと思っております。
それでは皆さま、来年も変わらぬご愛好をお願い致します。良いお年をお迎えください。
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12.18 |
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少し前にベストセラーとなった「嫌われる勇気」と第二弾の「幸せになる勇気」が私の人生に大きな影響を与えました。
長年に渡りモヤモヤとしていた感情がこの本を通じて一気に整理された気がします。
この本に登場するのが「アドラー心理学」なのですが、自分が生きる上でとても重要な考え方だと感じていますので
何回かに分けて書きたいと思っています。
端的に言うとアドラー心理学は「目的論」という考え方をします。対照となるのがフロイトやユングの「原因論」
「原因論」は「過去にあった出来事が(原因で)今の自分の性格となった」という考え方。つまり「トラウマ」を重要視しています。
一方でアドラーは「性格」や「トラウマ」はないと断言します。これはどういう事でしょうか。
私は小学生の頃に友達が飼っていた犬を撫でようとして手を噛まれたことがあります。
後で知ることになるのですが犬は自分の頭の上や顔の正面に突然手を出されると怖いのだそうです。
では私がその後「犬が怖い」となったかというと「別に何ともない」のです。先日も別の友人が飼っている犬と海で遊びました。
ですが人によってはこれがいわゆる「トラウマ」となり
1.「犬に手をかまれて痛かった・驚いた」という経験に
2.「犬に怖い思いをした」という意味を持たせ
3.「私は犬が怖い」という性格を作り上げた
という事になります。
これらの体験(原因)は事実として存在します。ですが上記の2と3は「どのような意味を持たせるか」を自分で決めることができます。
そしてその際重要となるのは
その意味を持たせる目的は何か?
です。ほとんどの場合、この目的設定は無意識に行われます。ではこの無意識は制御できないものなのでしょうか?
つづく。
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10.24 |
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自分が何かを話したときに「へー、そうなんだ。(そんな事知ってて)凄いね」と言われたときは注意です。
いろんな事を「知っている」人がいます。博学で感心するのですがこういう人は注意が必要です。
全ての人がそうというわけではないですが、人によっては過度な偏見がある人もいます。
物事にはバランスが大切で「自分の知っていること」と「自分の知らないこと」を客観的にとらえられる人は
一緒にいても会話が弾みます。
自分はどうかと考えてみると知っていることはついつい自慢げに話したくなります。しかしいろんな方とお話をしていると
「自分の知らないこと」がとてつもなく多い事に気が付きます。もしかすると「自分はまだ何も知らないのでは?」と思うこともしばしば。
さらに「知っている」と「理解している」には大きな差があり「知っている」だけだと逆に思慮の浅い人間と判断されることもあります。
「知っている」の先には「もっと知っている」人がいて、どこまで行ってもきりがない。
はじめはAが正しいと思っていたのが実はBが正しかった事が分かり、一周回って本当はAが正解なんてことも
あります(結局はAでもBでもないCだったって事もある)
年を重ねると「間違って覚えて」いたり「覚えたはずが思い出せない」ことも増えたりしてとても厄介です。
そう考えると「あれもこれも知っている」という人よりも「知らないので覚えたい。いろいろ学びたい」と言える人
の方が魅力的な気がします。
「そんな事も知らないの?」と言わたり思われたりすることもありますが「聞くは一時の恥」と言います。
自分の知識を過信することの方が危険です。知識を語ることで優越に浸っている時は要注意。
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9.15 |
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趣味が高じて楽器を弾いたり、曲を作ったりしています。
大学生の頃はバンドで全国ツアーもやったのですが今から思うと予算管理も何もなく、無計画過ぎて恐ろしい限りです。
楽器を弾くと何気なく流れてくる音楽を聞いていても、自分の弾いている楽器の音が大きく聴こえるようになります。
例えばギターを弾いている人はギターのフレーズが気になるし、ドラムを叩いている人はドラムの音やリズムが気になります。
楽器を弾く前には聴こえなかった音が聴こえるのはなかなか楽しい体験です。
作曲をするとコード進行、作詞をすると歌詞が気になり、さらに色々とやっていくうちに曲全体の構成や編曲なんかにも
興味が生まれます。
同じ曲を聞いていても自分の意識や経験によって聴こえ方が変わるのは不思議ですよね。ですが実はこれは当然の
事とも言えます。
私が時々社員と話すことに「今日見た赤いものなんだ?」があります。
朝起きてから会社に来るまでの間に多くの物を目にする機会がありますが、目的を持たずにぼんやり見ていると記憶に残っているものは
少なかったりします。そこで「帰りは赤いものを探してみてね」と言うと、
意外にたくさんの赤いものが目に入り驚きます。
つまり「興味を持って見る(聴く)」=「アンテナを張る」という事は物の見方を変える方法の一つなのだろうと思います。
そこでこれをうまく利用して普段から自分の課題を整理しておく事で、周りからヒントを得やすくなるのではないかと思います。
経営者は常に会社の事を考えていると言われていますが、これは常にヒントが周りにある(かもしれない)と考えているから
のような気がします。休みの日でも仕事の事を考えてしまうのは(いわゆる「ワーカホリック」であったり「仕事に逃げている」
とも捉えられてしまう事もあるのであまり大きな声では言えないですが)経営は短期勝負が通用しないことの方が多く、
そのため常に色んな課題を整理しておき日常の色んなものからヒントを得ておかないと、辛い勝負が多くなるという事を
感覚的に知っているからかもしれません。
皆さんも赤いもの探してみてください。意外な発見があるかもしれませんよ。
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8.22 |
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ホームページのリニューアルに伴い、不定期更新のコラムを掲載してみようと思います。
今回は第一回目ということで「ユニコという会社」について書いてみようと思います。
最近では「副業」という言葉をあまり後ろめたくない言葉として使う機会が増えたと感じます。
ユニコを立ち上げた当時、私は会社に勤めていました。そのためユニコという会社は妻の名義で立ち上げ、私が手伝う形
をとりました。当時はまだ副業に対しては理解が得られないことが多く、なんだか裏でこそこそやっているような気持ちでいました。
ですがその一方で会計や仕分け、税金の知識など得るものは多く、特に日本という資本主義の国に生きていて
労働による対価を得ているにも関わらず、あまりにも自分が無知である事に愕然としたのを覚えています。
起業の2年後に御縁を頂き、グループ会社の社長を任せて頂けることになったのですが、会社を立ち上げずに
無知なままでやっていたらと思うとぞっとします。
よく「人生に無駄はない」という言葉を聞きますが、実はあまり好きではありません。
たぶんそれは当たり前すぎると思っているからで、ともすれば「人生は無駄が大事」なのではないかとすら
思っています(もちろん程度問題はあります)
人間生きていれば無駄な努力ってあります。無駄遣いもします。でもそれが「悪」ではないと思うんです。
自分が「やってみたいな」と思ったことは無駄になるかどうかに関わらずやればいいし、それを行動に移せることが自信
につながると思うんです。誰もがそうかどうかは分からないので、正確にいうと私はそういうタイプの人間だという事だと思います。
そんな私がやってみたかったことの一つが「起業」でした。実は父も経営者なのでいつもそばに目標となる人がいて
経営者目線の発言を多く聞いていたことも影響していると思います。
はじめは売上もままならないこの小さなユニコという会社が、今では多くの人に支えられ、それなりの企業になろうとしています。
このことは私にとっては大きな自信であり誇りです。もちろんその分責任や覚悟も必要ですから、常に自分を磨かなければいけません。
ですが私は聖人ではないし、誰かに誇れるような人格者でもありません。
だからこそ一緒に働く人たちと、どれだけ楽しく仕事をするかという事を一生懸命に考えられるようになったのだと思います。
意見が違う事もあるけれど、それでも同じ方向を向いている人たちが集まっているということは何物にも代えがたい心強さです。
起業してまだ9年程ですがとても多くの奇跡を体験しました。それはユニコに集まった人の力であり、私が何かを始めたことに対する
一つの結果なのだと思います。
全ての偶然に感謝しながらこれからもできる事を楽しみながらやっていこうと思います。
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